「ねぇ、昴治知らない?」
後ろから声を掛けられて、祐希はふり返った。
ぎくりとしたのが顔に出なかっただろうか?
「知らない?」
あおいがぐっと顔を近づけてくる。
「知るかよ!」
答えて、祐希はぷいと横を向いた。
「そう…。」
聞いたあおいは首をひねる。
「講義あるはずなのに、来てないんだもん。どうしたのかしら?」
「……。」
知っているとは、とても言えなかった。
昨日の夜何をしたかを考えれば当然である。
あまつさえ熱まで出してくれちゃって、
なんとも可愛い昴治なのである。
「わかった。じゃ、またね祐希。」
「おい、あおい!」
立ち去ろうとしたあおいを呼び止める。
「何?」
「いや…その…。」
少し躊躇してから、祐希はつぶやくように言う。
「口紅って落ちないのか?」
「は?」
「落ちないもんなのかって聞いてんだよ!」
祐希クン逆切れです。
「落ちない口紅ってのも、あることはあるけど…?」
「落ちなくて困んないのかよ?」
「だから、専用のクレンジングで落とすの。」
「そうか…。」
納得した顔の祐希に、あおいがいぶかしむような瞳を向ける。
「何で急にそんなこと聞くわけ?」
「別に…。」
祐希は彼女にくるりと背を向けて歩き出す。
その背中を見送って、あおいはにやりと笑った。
「そうなったわけね♪」
部屋に戻ると、昴治がひどくぶすくれた顔でベッドに腰掛けていた。
「熱あんだから、寝てろ。」
そう言って昴治をベッドに押し込める祐希はひどく嬉しそうだ。
「誰のせいだと思ってんだよ!」
「俺だろ。」
怒鳴ってみても、アッサリ返されて言葉に詰まってしまう。
ぶつぶつと文句を言いつつ横になると、
祐希はポケットから何かを取り出した。
「何だ、それ?」
「これで落とすんだとよ。」
「?」
「唇」
昴治の顔に朱が走る。
祐希が買ってきたのは、携帯用クレンジングシートだった。
…。
実は。
昴治が今日休んでいたのには、2つ理由があった。
1つは、昨夜祐希との熱い夜(笑)を過ごしたせいで熱を出したことと、
そしてもう1つは、口紅が落ちなかったことである。
つけている時は全く気にもしなかったのだが、
いざ落とすという段になって、初めて落ちないことに気付いたのだ。
しかも、泣き泣きひどく擦るものだから、
皮は剥けるわ唇ははれるわで大変なことになっていた。
「じっとしてろよ。」
シートを広げて、祐希は丁寧な手つきで拭いてゆく。
「しみる…」
「自業自得だろ。」
膨れる昴治の言葉を軽く流して。
しかし、その手つきが一層優しいものになる。
それを感じて、昴治は少し大人しくしていた。
「落ちたぜ。」
拭き終わって祐希が言う。
しかし、唇が赤くただれてしまっていてひりひりと痛む。
昴治は話すもの億劫で、黙って弟を見上げていた。
と、祐希はポケットから何かを取り出す。
昴治は思わず吹き出してしまった。
「なんだよ。」
怪訝な顔の祐希に、昴治はふるふると首を横に振った。
『何でも出てくる、魔法のポケットみたいだ。』
祐希はフンと鼻を鳴らしつつ、
買ってきた薬用リップを赤くはれた唇に塗ってやる。
『昔の漫画だっけ?たしかタヌキみたいのが…』
思ったとたん、祐希の顔がふてくされたタヌキに見えて、昴治は再び吹き出した。
ベッドの上でごろごろ転がりながら、腹を抱えて笑う。
「な、なに笑ってんだよ!」
笑われている祐希はむっとする。
顔を見たとたん笑われては、祐希じゃなくても怒るだろう。
「兄貴!」
怒鳴っても、昴治は涙まで流して笑い転げている。
「勝手にしろ!」
ふてくされて、祐希はぷいと後ろを向いた。
と、ふわりと暖かいものが降りてきて。
「ごめんごめん。」
まだ少し笑っている昴治が、後ろから祐希を抱きしめていた。
「バカ兄貴。」
「ゴメンって。」
言いながら、くいくいと祐希の前髪を引く。
「うるせ…!」
「なぁ、祐希。」
空気を入れ替えるように、昴治が尋ねた。
「あぁ?」
溜息をついてから答えると、満足そうにニコリと笑ってから昴治は言った。
「なんで口紅だったんだ?」
その言葉に祐希が固まる。
「何にしたらいいかわかんないって言ってもさ、俺一応男だし…。
他にいろいろあると思うんだけど…?」
祐希は困った。
まさか、たまたま声をかけてきた店員が微妙に昴治似だったから…
なんて言って納得するとは思えない。
(…なんか抜けてるトコとかな、マジで似てたんだけど…)
「なぁ、祐希?」
「知るかよ。」
「なんだよ、それ?」
「知らねぇって言ってんだよ!」
祐希が強情に言い張ると、
昴治は「まぁ、いいけど」とつぶやいて、ころんとベッドに転がった。
「その方って恋人さんですか?」
勝手に女性へのプレゼントだと勘違いした挙句、
最後になってそんなことを訊いてくる店員に、祐希は黙ったまま頷いた。
こちらは相手が女性だとは一言も言っていないのだけれど。
店員は言った。
「大事にしてあげてくださいね。」
それは真実である。
「兄貴。」
「んー?」
声をかけると気のない返事。
言ってみようか?
「大切にするから。」
「何を…」
言いかけて、気付いた昴治がカッと赤くなる。
祐希はベッドに体を乗り上げて昴治の顔を覗き込んだ。
「ゆっ…ゆう…」
「大切にするからさ、だから…」
今日もキスしていいですか?
…と言うことで、後日談でした。
本当は口紅を買うシーンがもう少しあったのですが
だらだら長いので大幅カットです。
「落ちない口紅」ネタを思いついてくれたぬいちゃん、感謝ですv
ホントは最後ギャグになるはずだったの…とか言ってもいいですか(爆)